2019年6月24日(月)
交野山のとある場所に移し替えられた藤原鎌足の墓と、高麗寺跡と中宮寺後の三点を結ぶと、正五角形の一部をなす綺麗な直角三角形が浮かび上がりました。
法隆寺の夢殿の建築配置や、大地に三角法で位置決めされた数々の関連性ある図形に、意味ある図形が用意されていたようです。
藤原鎌足と高麗、大いに意味する文字と完成された図形です。
そして鎌足の子である不比等君の墓とその長男の武智麻呂の墓は磁北磁南の位置関係にあり、高麗寺跡から44㎞~45㎞にあり、三点は二等辺三角形を描く地点に決められています。
これらは全て偶然ではできません。
藤原氏直系である桓武天皇の墓は、二つの百済寺から直角二等辺三角形を描く地点でしたが、
高麗・百済 これらには、藤原氏のルーツと願いが込められているようです。