2020年1月5日(日)
魏志倭人伝に表記されている距離は、全て一里が短里77mで合致する。
魏志倭人伝には、女王国の東に渡海すること千余里、同じく倭人の国々が存在していると記載されている。
女王國の東、海を渡る、千余里の地点は、敦賀湾でしたね。
そして、その港から上陸する倭種の国のもう一つの太平洋に面する湾が、伊勢湾でしたね。
女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。又有裸國、黒歯國復在其東南、船行一年可至。參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。
女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。その南に侏儒(こびと)国が在り、身長は三、四尺、女王国から四千余里。また、その東南に裸国や黒歯国も在り、船で行くこと一年で至るとか。倭の地と比較して訊いてみると、絶海の中央の島の上に在り、隔絶あるいは連結し、周囲を旋回すること五千余里ほど。 引用元:『三国志魏書』倭人伝(通称:魏志倭人伝)
さぁ、次は、
又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。又有裸國、黒歯國復在其東南、船行一年可至。參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。
・・次は、女王国から千里海を渡った国から南に四千余里行ったところに小人の国があると言っています。
これは、伊勢湾の伊良湖水道の神島から四千余里行った場所ですから、短里の77mで計算するとちょうど八丈島です。
八丈島は、ハチジョウジマでなく「ハッタケの島」と教えていますよ。八丈ほどの人達が多く住んでいた島だと教えています。
そして船で一年ほどかかって着く国で周囲を旋回すること五千余里の地点に合致するところに、歯を黒くして裸で暮らす人たちが住む国があると言っていますから、サイパン島ですよ。
「絶海の中央の島の上に在り」とは、サンゴ礁(ラグーン)に囲まれた島を表現していますね。
魏志倭人伝は100%正しい記述をしています。

ちなみに補足ですが、始めて一海を度る、千余里、対馬國に至る。
ですが、これは北岸狗邪韓國の馬山(マサン)の半島から対馬の大口瀬戸へと入って美津島箕型の港で上陸して、そこから厳原の港まで歩きます。船を乗り換えます。
あるいは、小舟の場合や急ぎの場合は、小船越の西の漕手で船を陸に引き揚げてもらって反対の港へと運んでもらいます。美津島の小舟越までの距離が81㎞で、短里77mで千余里に合致します。
対馬でも直線で南北72㎞ほどありますから、入港する場所を特定する必要があります。
そして・・
・・もオリオン座の鼓の外周は376㎞で、「短里」77mでしたね。