2017年10月15日(日)
昨日の神戸でのセミナーには、愛媛 広島 名古屋 岐阜 和歌山 などなど遠方より沢山の方々がおいでになりました。
本当にありがとうございました。 感謝しています。
隠された古代の歴史を教えられてきた私ですが、いよいよ核心部分に差し掛かってきているようです。
神河町作畑にある重箱石と、その右手にある方位石が教えることは、先ず南に播磨稲日大郎姫命の陵墓があること。
方位石が教える方向には、マリアの墓と稲日大郎姫命のお母さんのお墓でした。
稲日大郎姫のお母さんのお墓は、神河町渕地区の西の険しい山の上にあります。
そこのお墓から卑弥呼の陵墓が見えるような場所にあります。
稲日大郎姫命のお母さんは、卑弥呼の息子のお嫁さんでした。
卑弥呼と息子と、卑弥呼の弟が入定したことを思えば、当然の場所にお墓は造営されています。
そしてその稲日大郎姫命の陵墓と、お母さんのお墓とを結んで、1:1:√2の直角二等辺三角形を描ける場所に、稲日大郎姫のお姉さんの陵墓が存在します。
お母さんと娘さん二人が仲良く手をつないでお眠りになっておられます。
稲日大郎姫と景行天皇の間に、女 女 男の子が生まれました。
この男の子が応神天皇です。
大地に三角法で残されたポイントは、古代天皇家の方々のお墓の位置からルーツを知ることができるようになっています。
昨日のセミナーでは、このようなことを話させていただきました。
神河町の山々には、七福神様たちのお墓と、その方々を取り巻くイエス王家の御親族の方々のお墓がたくさん存在しています。
このような大変な町であることを知らずに、勝手に山山を破壊することは、それはそれは恐ろしい話です。 クワバラクワバラ。