2016年3月2日(水)
とある雑誌のカスタマレビューと、私の新刊のレビューに向麻山と書いて、「コウノヤマ」と読みます、と書かれていましたので、地図で調べると・・なんと、高野山とその向麻山から地下神殿がある生野町の口銀谷まで全く同距離でした。
大西さま、これは偶然ではないでしょうね。
なんと、向麻山から高野山を通って延長したライン上に大峰山山上ヶ岳がありますが・・、これも大事な場所を教えているようです。
5つ星のうち5.0聖櫃アークの理解が深まった 投稿者大石 慶彦2015年10月26日 形式: 雑誌 特別付録のDVDが大変良かった。モーセの契約の聖櫃アークについて、少なくない外国人が必死になって探し求めている理由が、これでよく解った。
アークは、宇宙人あるいは神からもたらされた人類的な神宝で、それを担げるのは、恐らく古代イスラエル人のうちのレビ族なのだと思う。
そして、そのレビ族の末裔とされているのが、多分に日本の徳島の阿波忌部氏であるのだろう。その忌部氏の子孫が、天皇家に大麻の布を貢ぎ納める三木家を代表とする、鴨族と呼ばれる主に吉野川流域に住む祭祀族のグループなのだろう。
ネットの情報によれば、阿波忌部氏は、三木・長谷・永谷・中橋・千野・治野・田方・早雲・木頭・高河原・北野・北三野・高如・名高・名高河・今鞍・藤・赤松・大坂・長者・麻植の名字を名乗っているらしい。
私自身は両親の実家が徳島の旧麻植郡で、私もそこの鴨島町が出生地だが、これらの名字には一致しないので、少なくともレビ族を祖先とはしていないと思われる。
ただ、私の母方の家系が公家の藤原氏一門の日野家であり、ついこの間、靴屋の店員が母の足の形を見て「農耕民族が多い日本人には珍しい、まるで西洋人みたいなスラリとしたスマートな足形」と言ったと聴いた。
また、私の父方の家系も彫りの深い欧米人のような顔立ちをした人ばかりで、両家系とも古代イスラエル人のレビ族ではなくとも、もしかしたら父方は出雲族とも呼ばれるエフライム族を中心とする北イスラエル王国の「失われた10支族」か、或いは、母方は日向族と呼ばれる南ユダ王国のユダ族かも知れない。古代イスラエル人の一般大衆か王族のどちらであるかは、今のところよく分からない。ただ、古代イスラエルから古代の日本にやって来るまでに、ヨーロッパ人との混血があったことも考えられる。
聖櫃アークについては、その昔に麻植郡の一部であった剣山の山中の鍾乳洞に保管されていたものが、現在では兵庫県の古に「死野(シオン)」と呼ばれた「播磨国風土記」に書かれているらしい朝来市生野町と神崎郡神河町にまたがる「埴岡の里」辺りに移されていると、上森三郎氏の著書に書かれていた。
兵庫県の「埴岡の里」あたりは砥峰高原があって、村上春樹氏の小説を映画化した『ノルウェイの森』のロケ地であるし、また世界遺産候補地の生野銀山があるところでもある。
私もこの上森氏の説は、すぐには信じられなかったが、私と同年代で神戸出身の世界的天才ピアニストの平原誠之氏が、組曲「火の鳥」の作曲で上森氏のアーク発掘の活動を支援していたり、天皇陛下に手紙を宛てているところなど、多くの著名人の関係者を巻き込んでいるところを考えると、あながち妄想の産物とは言えず、「事実は小説よりも奇なり」の言葉の通り、ひょっとしたら本当に兵庫県にアークが眠っているのかもしれない。
郷土愛、祖国愛からも、日本の兵庫の生野(シオン)の地下神殿にアークがあることを信じたいし、それが発掘されることを期待したい。そして、もしそれが発掘されたら、天皇陛下にお納め頂きたいとの上森氏の手紙の内容に、私も同感している。
追記:昨今の上森氏のブログでは、幾つかの「コウノヤマ」が生野の地下神殿の存在を幾何学的に指し示していることが述べられている。和歌山の高野山と、大阪府交野市の交野山、奈良県山添村の神野山と、大阪府岸和田市の神於山である。
私の持っている情報を補足させて頂くと、徳島県吉野川市鴨島町の麻植塚(おえづか)駅の南方にある「向麻山」も「コウノヤマ」と読みます。
すべて空海による仕掛けだとしたら、空海はとてつもなく頭の良い人だったと言わざるを得ません。まことに頭が下がります。